第9章 完全系列と完全性
加群を「つなぐ」言葉
加群を組み立てる状況を精密に記述するのが完全系列です。「 が部分加群 をもち、商が 」という状況を と書く。この言葉で、加群の拡大・分解・関手の振る舞いが統一的に語れます。 位相幾何やホモロジー代数で出会った完全系列を、加群論の 文脈で整えます。
核心の問いは「関手(Hom・テンソル)は完全系列をどこまで保つか」。前章で予告したとおり、テンソルは完全性を 壊す。その破れ具合が、関手の“質”を測り、後の (第12章)を生みます。
完全系列=各点で「像=核」。短完全系列 は「部分加群と商」。関手がこれを保つ度合いが完全性。
完全系列と分裂
定義 完全系列・短完全系列
加群準同型の列 が で完全とは 。
が短完全系列とは、 単射・ 全射・——すなわち が の 部分加群で 。
定義 分裂
短完全系列 が分裂するとは、( から への切断、または から への引き戻しが存在)となること。
分裂は「 がきれいに に分かれる」こと。分裂しない完全系列は「 と が絡み合って を作る」 非自明な拡大です。たとえば は分裂しない (、右はねじれをもつ)。「 から がどう組み上がるか」の分類が (第12章)です。
定理 分裂の判定
短完全系列 について、次は同値:(分裂) に切断 ()がある に引き戻し ()がある。 とくに が**自由(射影的、第11章)**なら常に分裂する。
Hom とテンソルの完全性
関手を短完全系列に施すと、完全性が片側で壊れます。どちら側を保つかが、関手の性格(左完全・右完全)を 決めます。圏論・ホモロジー代数の完全性の階層の、加群での 具体形です。
定理 Hom は左完全、テンソルは右完全
短完全系列 に対し、
- : は完全(左完全)。右端の全射性は一般に崩れる。
- (反変): が完全(左完全)。
- : は完全(右完全)。左端の単射性は一般に崩れる。
Hom が左完全・テンソルが右完全なのは、圏論の「右随伴は極限を保つ(左完全)、左随伴は 余極限を保つ(右完全)」の帰結です(テンソル ⊣ Hom、第8章)。どちらも完全ではない ——保たれない端があります。その破れが具体的に見えるのが次の例です。
例 テンソルが単射を壊す
分裂しない完全系列 に を施すと、
右端は完全(右完全)だが、左端の が 上ではゼロ写像=単射でない——完全性が壊れた。 この破れの大きさ が (第12章)。 関手が壊した完全性の“傷”が、新しい不変量を生む。
蛇の補題と五項補題
完全系列を操る二つの基本技。蛇の補題は核・余核をつなぐ長い完全系列を作り(第12章の長完全系列の原型)、 五項補題は「両端が同型なら真ん中も同型」を保証します。図式追跡(ダイアグラム・チェイシング)の代表です。
定理 蛇の補題
行が完全な可換図式(縦の射 )
から、核と余核をつなぐ完全系列
が得られる( は連結準同型)。
定理 五項補題
行が完全な可換図式で、縦の射のうち両脇の四つ( 番目)が同型なら、真ん中( 番目)も同型。
蛇の補題の連結準同型 が“蛇”の胴体——図式を対角にたどって、完全性の破れを 次の段へ繰り越します。証明はすべて「元を追う」(アーベル圏でもフレイド–ミッチェルで 正当化される)。これらは位相幾何のホモロジー長完全系列や、第12章の導来関手の 長完全系列で本質的に使われます。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 完全系列は「像=核」。 「像⊆核」(合成が 、複体)では不足。一致して完全。ずれ=ホモロジー。
- 分裂 ⟺ 。 分裂しない拡大()がある。分類が 。
- Hom は左完全、テンソルは右完全。 保つ端が違う。随伴の左右(テンソル⊣Hom)と対応。どちらも完全ではない。
- 完全性の破れが 。 傷は欠陥でなく新しい情報。連結準同型 が破れを繰り越す。
この章のまとめ
- 短完全系列 =「部分加群と商」。分裂なら (分裂しない拡大もある)。
- 関手の完全性:・ は左完全、 は右完全(テンソル⊣Homの左右)。どちらも完全でなく、破れが (テンソルが単射を壊す例)。
- 蛇の補題(核・余核をつなぐ完全系列、連結準同型 )・五項補題(両端同型⇒中央同型)——図式追跡の基本技。
- 次章では、Hom とテンソルの関係を随伴として精密化し、左完全・右完全の由来を圏論の言葉で捉えます。
次章では、テンソル ⊣ Hom の随伴(カリー化)を確立し、それが完全性の左右をどう決めるかを整理します。