第8章 テンソル積
双線形を線形に変える
加群を組み合わせる演算に、直和(第3章)とは別の、もう一つの重要なものがあります—— テンソル積。直和が「並べる」演算なら、テンソル積は「掛け合わせる」演算。その本質は双線形写像を線形写像に 変換することにあります。
双線形写像——二つの引数それぞれについて線形な写像 ——は、線形代数(内積・行列式・線形代数)に 頻出しますが、線形写像より扱いにくい。テンソル積は、双線形写像 を、線形写像 に一対一に翻訳する“万能の受け皿”です。この普遍性が、係数拡大・微分幾何のテンソル・ 代数幾何の連接層まで、あらゆる場面で効きます。
テンソル積 =双線形写像を線形写像に変える最も普遍的な加群。「掛け合わせ」の演算。
テンソル積の構成と普遍性
テンソル積は、普遍性で定義するのが本筋です。「双線形写像を一意に因子分解する加群」——圏論の 普遍対象として特徴づけます。
定義 テンソル積(普遍性)
加群 のテンソル積とは、 加群 と双線形写像 の組で、次の普遍性をみたすもの:任意の 加群 と 双線形写像 に対し、 をみたす線形写像 が ただ一つ存在する。
定理 構成と関係式
は、記号 ()で生成される自由加群を、双線形の関係
で割った加群として構成できる。一般の元は (単純テンソルの和)。
構成は「 という記号を、双線形の規則を課して割った」もの(第3章の「生成元と 関係」)。 が要——スカラーを の左右に自由に動かせる。 普遍性が本質で、構成は一つの実現にすぎません。「双線形写像 」と「線形写像 」が 一対一——これが を使う理由のすべてです。
テンソル積の計算
普遍性から計算規則が出ます。とくに 加群のテンソル積は、直感を裏切ることがあり注意が要ります。
定理 テンソル積の計算規則
- ( は単位元)。
- (自由加群のテンソルは自由)。
- (直和と交換)。
- 。
証明
(4) で、 が生成元。 かつ なので 。逆に が実現でき、 。∎
規則 (4) が示唆的です。——ゼロになる! 互いに素な巡回群のテンソル積は消えます。「掛け合わせたら消える」——テンソル積が直和とはまったく違う、 繊細な演算であることの証拠です。この繊細さ(テンソルが情報を潰しうる)が、第9・10章の「テンソルは完全性を 壊す」につながります。
係数拡大
テンソル積の重要な応用が係数拡大——加群の係数環を、より大きな環へ広げる操作です。実加群を複素化する、 局所環へ移す、などに使います。
定義 係数拡大
環準同型 があるとき、 加群 に対し
は 加群になる(係数拡大)。 を「 の上で考え直した」もの。
例 係数拡大の例
係数拡大は「体を大きくすると見えるものが増える」という発想の代数版です。実行列を複素で対角化する (複素固有値が見える)、多様体を局所で調べる——すべて という一つの操作。テンソル積が、 係数環を自在に取り替える道具になります。
注意 テンソルは「掛け算」・随伴の左側
テンソル積は加群の圏に「掛け算」を入れる( でモノイダル圏になる)。そして次章・第10章で見るように、 は の左随伴(圏論のテンソル⊣Hom)。 「掛けてから写す」と「写してから受け取る」が一致する——カリー化 が その正体。左随伴だからテンソルは余極限(直和・余核)を保つが、極限(核)は保たない——これが完全性の破れ (第9章)と (第12章)を生む。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- テンソル積は双線形を線形にする普遍対象。 構成(記号を関係で割る)は一実現。本質は普遍性 (双線形↔線形が一対一)。
- 一般の元は単純テンソルの和 。 一個とは限らない。 で全部を 代表できない。
- 、互いに素なら 。 テンソルは情報を潰しうる。直和と全く違う繊細な 演算。
- 係数拡大 で環を広げる。 複素化・局所化。テンソルが係数環を取り替える道具。
この章のまとめ
- テンソル積 =双線形写像を線形写像に変える最も普遍的な加群(圏論の普遍対象)。構成は「 を双線形の関係で割る」。
- 計算:、自由×自由は自由、直和と交換、(互いに素なら =情報を潰す繊細さ)。
- 係数拡大 :複素化・局所化など、係数環を広げる操作。
- は の左随伴——余極限は保つが極限(核)は保たない。次章では、この「完全性を保つ/壊す」を短完全系列で精密に調べます。
次章では、短完全系列と分裂、Hom・テンソルがそれをどこまで保つか(左完全・右完全)、蛇の補題・五項補題を扱います。