第1章 リーマン計量
地図に縮尺を入れる
多様体論で、なめらかな空間——多様体——を作りました。でもそこには、まだ長さも角度も ありません。地図はあるのに縮尺が無い状態です。二点がどれくらい離れているか、二つの方向がどんな角度をなすか、 領域の面積はいくつか——こうした「測る」ことが、まだできない。
微分幾何学では、 に埋め込まれた曲面に、外の空間から長さを借りて 測りました(第一基本形式)。でもガウスの驚異の定理が教えたのは、曲がりの本質は内在的——面の上の距離 だけで決まる、ということでした。ならば、外の空間なしに、多様体そのものに「ものさし」を直接入れればいい。 それがリーマン計量です。各点で接ベクトルの長さと角度を測る内積を、なめらかに配る。これで初めて距離・面積・ 最短経路が定義でき、本物の幾何が始まります。
リーマン計量=各点の接空間に配られた内積。外の空間に頼らず、多様体そのものに長さ・角度・面積を与える。
リーマン計量の定義
定義 リーマン計量・リーマン多様体
可微分多様体 の各点 の接空間 に、内積 (正定値対称双線形形式)が なめらかに( について に)与えられているとき、 をリーマン計量、組 を リーマン多様体という。局所座標 では
と対称正定値行列 で表される(計量テンソル)。
これは微分幾何の第一基本形式 を、任意次元の抽象多様体へ 一般化したものです()。ちがいは、もう外の空間を仮定しないこと。 は 「この多様体に内在する長さの測り方」そのものです。計量が決まれば、面上のあらゆる測定が計算できます。
定理 計量で測れるもの
リーマン多様体 で、
- 接ベクトルの長さ:、角度:。
- 曲線 の長さ:。
- 距離:。 は距離空間になる。
- 体積:。
「距離=曲線の長さの下限」という定義に注目してください。二点間をつなぐあらゆる道の長さを比べ、最短を とる。まっすぐな道が無い曲がった空間では、これが唯一自然な距離の定め方です。この最短の道こそ、第3章の 測地線になります。
例——曲がった空間のものさし
具体的な計量で感覚を掴みます。同じ座標でも、 の入れ方で幾何がまるで変わります。
例 リーマン計量の例(易→難)
双曲平面の計量 は、外の空間なしに「負に曲がった世界」を定義します。 で割るせいで、 高いところの距離が縮む——この一つの式が、三角形の内角和が 未満になる非ユークリッド幾何を生む。 計量を書き下すだけで、まったく新しい幾何が手に入るのです。
注意 計量は座標に依存し、幾何は依存しない
は座標の取り方で変わる(座標変換で は二階共変テンソルとして変換)。だが「距離」「角度」「曲率」 といった測定結果は座標によらない。座標依存の成分 と、座標によらない内在的な幾何を区別するのが、 リーマン幾何を読む基本姿勢。微分幾何の「 は座標依存、長さは不変」と同じ精神。
リーマン計量はいつでも入る
抽象的な多様体に、そもそも計量を入れられるのか。答えは「(ハウスドルフ・第二可算なら)いつでも」。 多様体論の道具——1の分割——が保証します。
定理 計量の存在
(第二可算な)可微分多様体には、必ずリーマン計量が存在する。
証明
各座標近傍で標準的なユークリッド計量を取り、1の分割(各点で有限個だけ非ゼロの、和が の なめらかな関数の族)で貼り合わせる。正定値対称形式の正の一次結合は正定値なので、貼り合わせた も リーマン計量。∎
局所的には自明な(ユークリッド)計量を、1の分割でなめらかに繋ぐ。正定値性が一次結合で保たれるのが効きます。 「計量はいつでも入る」——だからリーマン幾何は、あらゆる多様体で展開できる普遍的な枠組みなのです。
つまずきポイント
注意 よくある誤解
- 計量は「各点ごとの内積」。 一つの内積ではなく、点 ごとに が配られ、 についてなめらかに変わる。 だから場所ごとに測り方が違う(球の極で縮む、双曲で上ほど縮む)。
- 外の空間は要らない。 リーマン多様体は埋め込みを仮定しない。計量が最初から与えられる(驚異の定理が 内在性を保証したから、微分幾何)。
- は座標依存、幾何は不変。 成分は座標で変わるが距離・角度・曲率は変わらない。混同しない。
- 距離は「曲線長の下限」。 直線がない空間での自然な距離。この最短を実現するのが測地線(第3章)。
この章のまとめ
- リーマン計量 =各点の接空間に配られた内積(正定値対称、なめらか)。局所で対称正定値行列 。微分幾何の第一基本形式を抽象多様体へ一般化し、外の空間に頼らない。
- 計量から長さ・角度・距離・体積がすべて定義できる。距離は「曲線長の下限」。例:ユークリッド、球面 、双曲 。
- 計量はいつでも存在(1の分割で貼り合わせ、正定値性が一次結合で保存)。リーマン幾何は普遍的な枠組み。
- ものさしは入った。だが「まっすぐ運ぶ・微分する」にはまだ接続が要る。次章では、計量から一意に定まる接続——レヴィ–チヴィタ接続を、完全な証明とともに構成します。
次章では、計量と両立し捩れのない接続がただ一つ存在すること(リーマン幾何学の基本定理)を証明し、クリストッフェル記号を計量で書き下します。