数学の作り方 How to make Mathematics

第9章 向き付けと積分

曲がった空間の上で、積分を定義する

nn 形式は「積分される量」だと第7章で述べました。この章で、それを実行します——多様体の上で 微分形式を積分する。ただし、\int を定義するには一つ、乗り越えるべき問題があります。向きです。

積分には向きが要ります。ab=ba\int_a^b=-\int_b^a微積分)のように、向きを逆にすると符号が反転する。 曲がった多様体では、「全体で一貫した向き」を貼れるかどうかが問題になります。メビウスの帯のように、一周すると 向きが裏返る空間(向きづけ不可能)では、nn 形式の積分が定義できません。向きづけ可能な多様体でのみ、 微分形式の積分が意味をもちます。この章で向きを厳密にし、チャートを貼り合わせて大域的な積分を 組み立てます。これが次章のストークスの定理——ベクトル解析の全積分定理を統一する頂点——の準備です。

積分には向きが要る。向きづけ可能な多様体でのみ nn 形式が積分できる。メビウスの帯は向きづけ不可能。

向き付け

定義 向き付け・向きづけ可能

nn 次元多様体 MM向き付けとは、各接空間 TpMT_pM に「正の基底」の選び方を、なめらかに(連続に)与えること。 同値に、いたるところ 00 でない nn 形式(向き形式)を一つ選ぶこと。向き付けが存在する多様体を 向きづけ可能という。座標変換のヤコビ行列式が正のチャートで覆えることとも同値。

「各点で“正の向き”を、全体で矛盾なく選べる」のが向きづけ可能。S2S^2・トーラスは向きづけ可能(表裏がある)、 メビウスの帯・クラインの壺・RP2\mathbb{RP}^2は向きづけ不可能(一周すると向きが裏返る)。向きづけ 可能性は、いたるところ消えない nn 形式の存在と同値で、これが積分の“物差し”になります。

注意 向きづけ不可能なら積分できない理由

向きづけ不可能な多様体では、いたるところ 00 でない nn 形式が存在しない(一周すると符号が反転して、どこかで 00 になるしかない)。ゆえ「体積形式」がとれず、nn 形式の積分が符号の矛盾で定義できない。ポアンカレ双対性が 向きづけ可能で成り立つのと同じ根。

積分の定義

まず Rn\mathbb R^n11 枚のチャート上で、nn 形式を通常の重積分として定めます。

定義 1 チャート上の積分

Rn\mathbb R^n の開集合 UU(正の向き)上の nn 形式 ω=f(x)dx1dxn\omega=f(x)\,dx^1\wedge\cdots\wedge dx^n に対し、 Uω=Uf(x)dx1dxn(通常の[ルベーグ/リーマン重積分](/calculus/11)).\int_U\omega=\int_U f(x)\,dx^1\cdots dx^n\quad(\text{通常の[ルベーグ/リーマン重積分](/calculus/11)}). 座標変換で、ウェッジ積の変換がヤコビアンを生み、ω\int\omega が向きを保つ座標変換で不変。

微分形式が積分の自然な対象なのは、座標変換でウェッジ積が自動的にヤコビアン det\det を出すからです (dxˉ1dxˉn=det(xˉ/x)dx1dxnd\bar x^1\wedge\cdots\wedge d\bar x^n=\det(\partial\bar x/\partial x)\,dx^1\wedge\cdots\wedge dx^n行列式=体積の拡大率)。 微積分の変数変換公式が、微分形式では“自動的に”組み込まれている。これを大域化するのが 11 の分割です。

定義 1 の分割による大域的積分

多様体 MMアトラスに従属する11 の分割(各チャートに台をもつ非負関数 ρα\rho_\alphaρα=1\sum\rho_\alpha=1)を使い、 Mω=αUαραω\int_M\omega=\sum_\alpha\int_{U_\alpha}\rho_\alpha\,\omega (各項は 11 チャート上の積分)で定める。11 の分割の取り方によらず well-defined。

11 を各チャートに分配し(ρα=1\sum\rho_\alpha=1)、各チャートで積分して足す」。11 の分割は、集合と位相の ウリゾーンの補題(連続関数がたくさんある)が保証する“糊”で、局所的な積分を大域的な積分に 貼り合わせます。分野をまたぐ伏線の回収です。これで曲がった多様体の上で積分が定義できました。

境界付き多様体

ストークスの定理の舞台は、境界のある多様体です。円板(境界は円周)、半球(境界は赤道)のような。

定義 境界付き多様体・誘導される向き

境界付き多様体とは、局所的に半空間 Hn={x10}\mathbb H^n=\{x^1\ge0\} に同相な空間。境界 M\partial Mx1=0x^1=0 に対応する点全体)は (n1)(n-1) 次元多様体。MM の向きから M\partial M誘導される向きが定まる(「外向き法線を最初にとる」規約)。

境界付き多様体は「縁のある多様体」。MM の向きは、その境界 M\partial M に自然な向きを誘導します(外向き法線の規約)。 この「MM の向き ↔ M\partial M の向き」の対応が、次章のストークスの定理で符号を正しく合わせる鍵です。境界の 向きの規約が、微積分の基本定理 abf=f(b)f(a)\int_a^b f'=f(b)-f(a)bb++aa- という符号の起源 (11 次元の境界 {a,b}\{a,b\} の向き)でもあります。

つまずきポイント

注意 よくある誤解

  • 積分には向きが要り、向きづけ可能な多様体でのみ nn 形式が積分できる。 メビウスの帯・RP2\mathbb{RP}^2(偶数次元)は向きづけ不可能。
  • 微分形式の積分は自動的にヤコビアンを組み込む。 ウェッジ積の座標変換が det\det を出す。変数変換公式が内蔵されている。
  • 11 の分割で局所を大域に貼る。 ウリゾーンの補題由来の“糊”。多様体上の積分の標準技法。
  • 境界の向きは MM の向きから誘導される。 外向き法線の規約。ストークスの符号の起源。

この章のまとめ

  • 積分には向きが要る。向き付け=各接空間の正の基底をなめらかに選ぶ(=いたるところ 00 でない nn 形式)。向きづけ可能な多様体でのみ nn 形式が積分でき、メビウスの帯・RP2\mathbb{RP}^2 は不可能。
  • nn 形式の積分は、11 チャートでは重積分(ウェッジがヤコビアンを自動生成)、大域では**11 の分割**(ウリゾーンの補題の糊)で貼り合わせる。
  • 境界付き多様体 M\partial M には MM の向きから向きが誘導される(外向き法線の規約)。次章のストークスの符号の起源。

次章は、微分幾何の到達点——ストークスの定理で、ベクトル解析の全積分定理を一つに統一します。